日本テレビで夜に放送されている『秘密のケンミンSHOW極』で浜松餃子のコーナーがありました。
「浜松は餃子が有名」「浜松に旅行に行ったら餃子は食べないと」
と、浜松の代名詞のようになっている浜松餃子ですが、いつからこんなにも有名になったのでしょうか?
気になった私は調べてみましたが、「有名」というのはなんとも曖昧な言葉で、どれくらいの知名度を有名と言うのか分かりません。
そこで、ここでは、歴史を述べるとともに私見を記載することにしました。
今回、参照するのは高知工科大学の方が執筆したものです(参照元:宇都宮市と浜松市の餃子戦争について)
浜松餃子が有名なったのは「餃子消費量日本一」を宣言した時と推測
浜松餃子が有名になった時期は正確には記載されていませんでしたが、2007年4月に浜松市が「餃子消費量日本一」を宣言した時期が一つのポイントだと考えています。
この時、マスコミが話題として取り上げ、全国的に広まったのではないかと思いました。
そして、この話題作りのきっかけを作ったのは浜松餃子学会という組織です。
2005年7月に浜松餃子の振興・普及をさせることを目的に設立されました。
この組織が浜松市の餃子消費量の調査を浜松市に提案したのです。
そして、浜松市が独自に調査し、発表して話題になったということですね。
この組織は他にも
- B-1グランプリ
- 全国餃子サミット
- 浜松餃子祭り
と、浜松餃子の振興・普及に努めていたことが分かりました。
この努力の結果として、今の知名度があるのでしょう。
次にそんな浜松のルーツを見ていきましょう!
浜松餃子の円形の餃子にもやしを乗せるルーツは石松餃子
浜松餃子学会によると、
浜松餃子の起源は大正~戦前に居た中国人が営んでいた中国料理店と言っています。
浜松では実は、全国に先駆けて大正時代より焼き餃子が食べられていた事が解っております。お店の名前も店主の名前も明らかになりました。それなりに人気もあり、大勢のお客さんが連日来ていたそうです。
大正~戦前、浜松市には多くの中国人が居りました。その方達の中で中国料理店を営んでいた方が、当時から焼き餃子を出していたのです。餡は、中心がお肉でこそありましたが、現在と同じく、キャベツを多く使っていた様です。さすがに大正時代の味はついえてしまいましたが、戦前の味は、当時そこに勤めていた方などが継承し、その流れは今に残されております。
出典: 浜松餃子学会
しかし、高知工科大学の方の資料では、
食べていたという方は居たものの、当時を復元した地図の中には中華料理屋あるいは餃子屋はなかったとのこと。
根拠は弱いものの食べたという人が居たということは、あったのでしょうね。
つまり、ここから浜松の餃子の歴史はスタートしたと考えられます。
ただし、今の円形の焼き餃子の真ん中にもやしが乗っているスタイルを確立したのは石松餃子だということが分かっています。
なので、浜松特有の材料を使った餃子の起源は、大正~戦前の頃、今のような円形スタイルの起源は石松餃子が創業された昭和28年ということですね。
最後に、キャベツがたっぷり使われていることが特徴と言われる浜松餃子のカロリーを比較します。
比較対象はもちろん、餃子といえばの王将ですね。
浜松餃子と王将の餃子ではカロリーの差は106kcal
石松餃子の公式ブログでは、1個あたり40kcal と記載されていました。
一方、餃子の王将は公式には発表されていませんでしたが、ヘルスケアアプリで有名なあすけんや、私が利用しているFiNCでも6個で346kcalとありました。
なので、1皿6個が基本だと思いますので、
石松餃子・・・40 × 6 = 240
で、
346 - 240 = 106 となりました。
ちなみに、1個あたりでは餃子の王将の方は約58kcal となりました。
1個で比べると小さいですが、1人前6個で比べると、かなりの差が出てきますね。
餃子が好きだけど、ダイエットを考えている人は石松餃子を食べる方が良いということですね。
一つ、注意点として、全ての浜松餃子がこの通りではありません。
独自の製法がありますので、あくまでも石松餃子の公式数値です。
まとめ
浜松餃子がいつから有名になったのか調べたところ、2007年4月に浜松市が「餃子消費量日本一」を宣言した頃だと考えられることがわかりました。
浜松餃子のルーツとしては、特有の材料を使いはじめたのは、大正から戦前のころ。
円形を確立したのは石松餃子が創業した頃だということがわかりました。
さらに、野菜をたっぷり使うのが特徴の浜松餃子では、王将の餃子よりもヘルシーであることが分かりました。
ダイエット中の方は、こちらを食べる方が良いということですね。